大炎上したサマリタンズ・レーダーの失敗要因(パターナリズム自殺予防の失敗)

「サマリタンズ・レーダー」というサービスをご存知でしょうか?おそらく、自殺対策の専門家以外は耳にしたことがないかと思います。

「サマリタンズ・レーダー」とは自殺予防のためのサービスなのですが、リリース直後から批判が殺到し、結果的にサービスは完全停止しました。

今回は「サマリタンズ・レーダー」が生まれた背景とともに、なぜ失敗したのかなどについて説明していきます。

サマリタンズ・レーダーとは?

サマリタンズ・レーダー (Samaritans Radar) とは、自殺予防を主な活動目的とする英国のキリスト教系慈善団体「サマリタンズ」が2014年10月末に発表した「Twitterで行われた投稿を検索し、知人が自殺を示唆するメッセージを投稿した場合に通知する」というサービス (アプリ) のことです。ちなみにサマリタンズは日本の「いのちの電話」の起源です。

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具体的には、直接的に自殺をほのめかす発言以外にも、「tired of being alone (孤独に疲れた)」「hate myself (自己嫌悪だ)」「depressed (落ち込んでいる)」「help me (助けて)」「need someone to talk to (話し相手が必要だ)」など関連がありそうな語句を検知し、その発言者のフォロワーの中でこのアプリをインストールしているユーザーがいれば、メールで注意喚起をする仕組みとなっています。また、発言者には自分がモニターされていることは知らされません。

このアプリの主な対象年齢は、ソーシャルメディアで最も活動的とされる18~35歳の人々でした。サマリタンズのジョー・ファーンズ氏は「困難な状況に必死に対処しようとしている人は助けを求めてインターネットに行くことが多い」と語っています。

しかし、このサマリタンズ・レーダーは英国で大きな話題にはなったものの、「善意を気取ったおせっかい」という批判の声が多くを占めており、その批判や運用にあたっての問題点に大きく3つありました。

  • ① 検知の正確性に欠けている (発言のニュアンスの判断ができない; 本気・冗談・皮肉など)
  • ② 個人のプライバシーや自由を侵害している (誰にモニターされているか分からない)
  • ③ 悪用される可能性がある (心中相手を簡単に探せる・ストーカーやいじめがエスカレートするなど)

このように善意から生まれたサマリタンズ・レーダーですが、多くの批判を生んだことで発表した翌月の11月にサービスは一時停止され、翌2015年3月に「当該サービスを再開することは二度とない」とサマリタンズから発表されました。

その一方で、DV防止団体のように類似した活動を行っている団体は「慈善団体は今まで、デジタル・テクノロジーを寄付集めのみに利用していたが、実際の活動目的のために使うのは画期的」と賛同し、Twitterの担当者も「デジタル空間における新たな支援方法の実験」と述べてサマリタンズ・レーダーを評価しています。

サマリタンズ・レーダーの失敗要因

サマリタンズ・レーダーの失敗要因として、先述した問題点が挙げられますが、中でも特に重要なのが「パターナリズムが反発を生んだ」ということです。

パターナリズムとは?

パターナリズムとは「介入主義」のことで、明鏡国語辞典では「相手の利益のためには、相手の意思に反してでもその生活や行動に干渉すべきだとする考え方。上司と部下、医師と患者など、父と子のような保護と支配の関係に見られる。父親的温情主義」と定義されています。

そしてパターナリズムは「過度なおせっかい」と同じであり、時に息苦しさをもたらすため「個人の利益」と「個人の自己決定権」のバランスが重要になってきます。

インフォームドコンセントとは?

また、パターナリズムは医療福祉分野のように専門性が必要な領域でよく見られ、常に議論されるテーマです。ひとつ例を挙げると、みなさんも「インフォームドコンセント」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。

「インフォームドコンセント」とは?

インフォームドコンセントとは、患者・家族が病状や治療について十分に理解し、また、医療職も患者・家族の意向や様々な状況や説明内容をどのように受け止めたか、どのような医療を選択するか、患者・家族、医療職、ソーシャルワーカーやケアマネジャーなど関係者と互いに情報共有し、皆で合意するプロセスである。

これをサマリタンズ・レーダーに置き換えて考えると、そもそも発言者には自分がモニターされていることは知らされないため、当事者間での合意が取れていない以前に、個人の意思が無視されていることが明らかです。これでは「善意を気取ったおせっかい」と批判されても無理がありません。

さらに、自殺予防を研究する和光大学の末木新氏はその失敗要因をこのように推察しています。

インターネット関連技術が全体主義的な監視に使われたことや、当該サービスが自己決定の自由を侵犯していること (ツイッターにおいて利用者がフォロワーを選ぶことができないことや自殺という死の自己決定の問題への介入) への嫌悪感があると推察される。

末木新「自殺と援助要請」(2017)

このように、いかに自殺予防に有効な手段だとしても、それが一線を越えて個人のプライバシーや自由が侵害されるなど、「個人の利益」と「個人の自己決定権」のバランスが崩れてしまっては本末転倒です。

リバタリアン・パターナリズムと自殺予防

では、サマリタンズ・レーダーのような失敗をしないためには何が重要なのでしょうか。その鍵となるのが「リバタリアン・パターナリズム (緩やかな介入主義)」です。

リバタリアン・パターナリズムとは?

リバタリアン・パターナリズムとは、行動経済学をベースにした人の心理に働きかけて望ましい行動を引き出す考え方で、公共政策分野でも広まっています。ちなみにリバタリアンは、他者の自由を侵害しない限りにおける、各人のあらゆる自由を尊重しようとする思想的立場をとる人のことなので、「リバタリアン」と「パターナリズム」という相反する2つの立場を合わせているのがリバタリアン・パターナリズムなのです。

そして、この考え方が人々の注目を集めたのは、キャス・サンスティーンとリチャード・セイラーの共著論文「リバタリアン・パターナリズムは撞着語ではない Libertarian Paternalism Is Not an Oxymoron」と、共著書『ナッジ Nudge』(邦訳題『実践行動経済学』) の公刊でした。

リバタリアン・パターナリズム的自殺予防を実践するNPO法人の夜回り2.0

また、この考え方を活用しているのがNPO法人OVAが行う「夜回り2.0」です。

OVAでは、自殺などに関する検索をした方に広告を表示し、クリックすると相談ができる特設サイトに移動します。テクノロジーで個人の行動を追跡し、行動 (相談) を促しますが、それを決めるのはあくまでも本人です。自己決定権を侵害しない設計になっています。こういった環境設計によって、過度なおせっかいにならないよう、サービスを提供しているのです。

NPO法人OVA「福祉と監視のバランスを考える-行動経済学とナッジの活用-」

このように、「自殺予防」という介入の具合が難しい分野でも、リバタリアン・パターナリズムを活用することで、押しつけがましくなく、緩やかに望ましい行動や一定の方向に促せるようになると考えられています。

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パターナリズム的自殺予防は慎重に

さて今回は「サマリタンズ・レーダーの失敗要因」について説明してきましたがいかがでしたでしょうか。この記事が少しでもみなさまの理解の一助となれば幸いです。

そして、自殺予防のための介入は時に自由の侵害やパターナリズムの問題と隣り合わせにあることを意識しておく必要があります。「善意を気取ったおせっかい」にならないよう、リバタリアン・パターナリズムを参考にした自殺予防の対策が増えていくことを願っています。

最後になりますが、もし今、生きているのが辛いと感じている方は、どうか1人で抱え込まずに周りの人を頼ってみてください。家族や友人ではない「誰か」に話を聞いてもらいたいと思ったときは窓口もあります。

それでは、皆さまが今日という日を健やかに過ごせますように。