デュルケームの『自殺論』とは?社会学で提言した自殺理論は、現代にも通じるのか?

自殺論

デュルケームの『自殺論』をご存知でしょうか?自殺の原因を個人の事情ではなく、社会的ものに帰着させ、そのタイプを4つに分類したことで有名な書籍です。

今回は、デュルケームの『自殺論』で提示された4つの自殺タイプの詳細と、現代でもその理論が通用するのかについて説明していきます。

デュルケームの『自殺論』とは

デュルケームの『自殺論』とは、1897年に発刊されたフランスの社会学者 É.デュルケームの著書で、自殺の問題を初めて社会学的に解明したものです。19世紀当時、欧州で自殺者が増加したことを背景に執筆されました。同著では、自殺の社会的事実の存在が主に統計的手法で証明されています。

19世紀フランスの自殺の状況

ここで少しデュルケームの故郷フランスにおける19世紀の自殺の状況について見てみます。1836〜1857年の間にフランス全体 (セーヌ県を除く) は60.2%増加し、また、1847年の不況期には首都における自殺数が1/4増加し、全国の総数の19%を占めていました。これは1836〜1857年で最も高い割合でした。

さらに、男性よりも女性の増加率がより高く、女性の自殺数は前の5年間の平均に対して39%増加したことから、経済危機と自殺の増加の関係は明確にあると考えられています。

自殺の4つの社会的原因

『自殺論』でデュルケームは、「自殺の原因は人種的・自然環境的ではなく社会的なものに求められる」とし、自殺の原因を以下4つに区別しました。

  • 社会との結びつきが弱いため起こる「自己本位的自殺」
  • 社会との結びつきが強いため起こる「集団本位的自殺」
  • 社会的規制 (抑圧) が弱いため起こる「アノミー的自殺 (混乱状態の自殺)」
  • 社会的規制 (抑圧) が強いため起こる「宿命的自殺」

このように、あくまでも自殺者数の統計的事実と社会環境要因との相関から自殺の要因を探っており、個人の事情に帰着させていないという点が大きな特徴で革新的な視点でした。

また、デュルケームは「自由」や「豊かさ」が自殺を促進する要因ともなりえることを示唆しています。

つまり、古い伝統やしきたりが残り、個人化が進んでいない地域 (地方) の自殺率は低く、逆に個人化が進んでいる地域 (都市) の自殺率は高いということです。

さらに、教育が普及するほど自殺率は高いということや、豊かな地域は自殺率が高く、貧しい地域はむしろ低いとしています。これはデュルケームが「人がもっとも容易に生を放棄するのは、生活のもっとも楽な時期、および生活にもっとも余裕のある階級においてである」と考えているためです。

自己本位的自殺

自己本位的自殺は、「個人と集団の関係が薄い社会において、個人の孤独感や焦燥感をベースに起こる自殺」であると同時に、個人主義が浸透した近代社会で多く見られる自殺タイプの1つだとされています。具体的には、農村よりも都市、既婚者よりも未婚者など、孤立する可能性が高い環境では自殺率も高いという考えです。

人間は「集団」という個人が奉仕すべき対象に所属してこそ、生きる意味や目的を見出すことができるため、社会集団との結びつきが希薄になればなるほど生きる意味や目的を失っていき、結果として自殺に繋がると考えられています。

集団本位的自殺

集団本位的自殺は、「個人と集団の結びつきが強固な社会で起こる自殺」とされています。確かに「集団」に所属すれば生きる意味や目的を見出せますが、その結びつきが強すぎると個人の生命は「集団」の利益や規範よりも軽んじられてしまうのも事実です。さらに、このような社会では組織に対する献身や自己犠牲が美徳と考えられています。

そして「集団」のための自殺を強要された場合でもそれに従わざるを得ないため、結果として自殺死亡率が高くなってしまうのです。典型例として、第二次世界大戦中の若い特攻隊員の少なくとも一部が挙げられます。

アノミー的自殺

アノミー的自殺は、「個人と集団の関係とは関係なく、社会的規制が弱い状況で起こる自殺」とされています。本来、職業・役割に応じた適切な所得水準に関する規範や合意は、人々の経済的欲望を一定程度に規制する働きがあります。しかし、その規制が弱まってしまうと個々人の欲望はどんどん膨れ上がり、慢性的な欲求不満 (実現できないことへの幻滅) に陥り、結果として自殺してしまうと考えられています。

また、不況の時期より好景気の時に自殺者が増えるのは、この自殺タイプが増加しているからだとデュルケームは指摘しています。

宿命的自殺

宿命的自殺は、アノミー的自殺とは逆に「社会の規制が非常に強く、個人の欲求が過度に抑圧されている状態で起こる自殺」とされています。さまざまな自由を奪われた奴隷の自殺や、「許されない結婚」の末の心中などが挙げられます。また、既婚女性の「自由への欲求」を阻害されたがゆえの自殺もこれに当てはまると考えられています。

しかし、このタイプは他の3つと違い『自殺論』では注でしか触れられていないため、これを除いた3つがデュルケームが分類した自殺タイプだとしている場合もあり、その解釈を巡る議論は現在でも起こっています。

デュルケームの『自殺論』と現代の自殺

1897年に刊行された『自殺論』ですが、現代でも同じことがいえるのでしょうか。

デュルケームの仮説が現代の自殺と異なること

実は、西ヨーロッパの自殺率の傾向は当時と今日では大きな違いがあります。

例えば、「地方よりも都市に自殺が多い」としていましたが、今日ではむしろ反対ですし、同様のことが「経済発展した地域に自殺が多く、経済発展の遅れている地域の自殺が比較的少ない」や「富裕層に自殺が多く、貧困層には自殺が少ない」という点についても言えます。

そして現在、このデュルケームが示したものと逆の傾向は、ヨーロッパだけでなくアメリカや日本など、いわゆる先進国に多く見られています。今日でも経済的に豊かな国 (旧社会主義圏の東欧諸国は例外) ほど自殺率が高い傾向にあり、むしろ貧しい国の自殺率は比較的低いとされていますが、経済発展した国の「国内」に目を向けるとその逆の傾向 (貧しい地域: 自殺率高、豊かな地域: 自殺率低) が見られるのです。

さらに、社会階層の面でも階層と自殺率は反比例しており、教育や景気でも同様のことが言えます。

つまり、デュルケームが自殺増加の要因として個人主義化やアノミーを指摘したような統計的特徴は、20世紀の欧米諸国においては見られなくなっているのです。

デュルケームの仮説で現代の自殺にも通じていること

その一方で、今日でも同じことがいえるケースも多いです。

例えば「自殺は女性よりも男性に多く、離婚はとりわけ男性の自殺率を高める」ということや、「自殺者は月曜日、そして春から夏にかけて多く、また戦争や政変においては自殺率が低下する」が挙げられます。

さらに、デュルケームの主張が全般的に当てはまる地域として、インドのように急速に経済発展して伝統的社会から近代社会へと変化を遂げつつある国々があります。

したがって、デュルケームが指摘した自殺傾向が当てはまるのは「急速な経済発展期にある国」であり、当てはまらないのは「すでにそれを終えて、近代の後期に入っている国」だということになります。

自殺は社会と密接に関連する問題

『自殺論』が発刊されてから120年ほどが経過しましたが、現代社会でも「自殺」は大きな社会問題です。

デュルケームが自殺の原因を個人ではなく社会環境から分析したように、自殺と社会環境には密接な関係があります。

だからこそ、「生きたい」と全面的に肯定できなくとも、「生きてみようか」「生きてみてもいいかもしれない」などと思える社会を作っていく必要があるのではないでしょうか。

もし今、生きているのが辛いと感じている方は、どうか1人で抱え込まずに周りの人を頼ってみてください。家族や友人ではない「誰か」に話を聞いてもらいたいと思ったときは無料の相談窓口もあります。

それでは、皆さまが今日という日を健やかに過ごせますように。

参考資料