『夜に駆ける』って自殺したカップルの歌なんだよね。
原作の小説を読んでから、聴いてみて。
友達からそう言われて、原作小説「タノトスの誘惑」と「夜に溶ける」を読んでYOASOBIの『夜に駆ける』を聴いて以来、僕はこの曲の虜になりました。
「さよなら」の意味
第71回NHK紅白歌合戦でも披露されたYOASOBIの『夜に駆ける』は、自殺をテーマにした歌であることが知られています。
「さよなら」だけだった
その一言で全てが分かった(YOASOBI『夜に駆ける』の歌詞より引用)
原作小説「タノトスの誘惑」を読むと、Aメロ冒頭の「さよなら」は、「これから死のうと思う(助けてほしい)」という彼女からの悲痛な叫びであり、この世とのお別れを意味する「さよなら」だということが分かります。改めて歌詞を丁寧に聴くと、自殺しそうな彼女を彼氏が止めようとする様が描かれていて、最後の転調から大サビにかけて彼の方に死にたい気持ちが移り、2人で飛び降り自殺をしたように解釈できます。
おそらく小説を読んだことのある多くの方は、『夜に駆ける』が自殺した2人の話、あるいは彼女が死神(=希死念慮の象徴)で彼を死に導いてしまった話だと解釈していると思います。
2人は本当に自殺したのか?
僕が『夜に駆ける』に魅了されて何度も聴いているのは、小説と歌詞の解釈にずっとモヤモヤしているからです。認知的不協和を解消したくて、ずっと聴いているのだと思います。
『夜に駆ける』の最後の歌詞はこのように締められています。
「涼しい風が空を泳ぐように今吹き抜けていく」「夜に駆け出していく」というのは、2人で手を繋いで飛び降り自殺をした結果、空を泳ぐように風が吹き抜けているという情景の描写のように思えます。『夜に駆ける』というタイトルは、LINEで「今から死ぬ」と連絡してきた彼女のもとへと駆け出す様でもあり、最後の飛び降り自殺を描写する言葉であるということです。
ミュージックビデオを見ても、「4:03」に屋上から足を空に落として、泳ぐように手を繋いで落下していくことが明示的に表現されています。
ただし、明確に「飛び降りた」「自殺した」「死んだ」ということは、小説にも、歌詞にも、表現されていません。
変わらない日々に泣いていた僕を君は優しく終わりへと誘う
沈むように溶けてゆくように染み付いた霧が晴れる
忘れてしまいたくて閉じ込めた日々に差し伸べてくれた君の手を取る
涼しい風が空を泳ぐように今吹き抜けていく
繋いだ手を離さないでよ
二人今夜に駆け出していく(YOASOBI『夜に駆ける』の歌詞より引用)
小説の最後の方では以下のように彼に死にたい気持ちが乗り移るシーンが語られています。
やっと「死にたい」という彼女の気持ちに彼を引き込むことができて、2人で死を選ぶことを決めた瞬間に読みとれます。
でも、どうしても、この2人が自殺していないのではないかと感じています。
自殺の対人関係理論と『夜に駆ける』
自殺の対人関係理論とは、「所属感の減弱」「負担感の知覚」「自殺潜在能力」の3つが重なると重篤な自殺企図を抱き自殺の危険性が高まるという理論です。
自殺の対人関係理論
【1】所属感の減弱(=孤独)
【2】負担感の知覚(=他者のお荷物)
【3】自殺潜在能力(=自分を傷つける力)
孤独で、他者のお荷物になっている感覚が、死にたい気持ちにつながることは何となく分かるかと思います。自殺潜在能力とは、自分自身を傷つける潜在能力のことです。人間は自己防衛本能で自分を殺そうと思っても、なかなかできないのですが、未遂を繰り返す過程で防衛本能が麻痺し、自分を傷つけることができるようになってくると言われています。
彼女にとっては、彼の負担になり、死にたい気持ちを理解してもらえずに孤独を深めて、繰り返し飛び降り自殺を試みることで自殺潜在能力が高まっていたと思われます。
「終わりにしたい」だなんてさ
釣られて言葉にした時
君は初めて笑った(YOASOBI『夜に駆ける』の歌詞より引用)
そこで、彼が「終わりにしたい」とこぼしたことで、初めて「死にたい」気持ちを理解してもらえて、減弱していた所属感が少し取り戻されたのではないかと思います。そして立場も逆転。彼女が彼の自殺を止める側になって、負担感も下がったのではないかと。
その結果、奇跡的に2人とも自殺を思いとどまったストーリーとも読み取れると思うのです。
もっとも、希死念慮を抱いた者どうしの共感が、自殺を抑止するかというと、そうとも限らないので根拠は頼りないです。たとえ臨床のプロである医師や看護師、臨床心理士、公認心理師、精神保健福祉士などであったとしても、きっと親しい友人や恋人の希死念慮にはうまく向き合えないと思うんです。自分と他者の境目がわからなくなって、沈むように、溶けていくように希死念慮に巻き込まれる感覚を経験したことがある人も少なくないんじゃないかなと思います。
身についた自殺潜在能力とは何か?【自殺予防の基礎知識】パパゲーノであってほしい
僕は夜に駆けるが「パパゲーノ」であってほしいと思っています。
パパゲーノとは、モーツァルトの『魔笛』というオペラの登場人物。自殺予防の世界では、「パパゲーノ効果」と呼ばれる仮説があり、自殺しようと考えるが、思いとどまり生きる道を選んだことの象徴としてこの名前が使われています。
つまり、『夜に駆ける』が自殺をふみとどまった物語であってほしいと、勝手ながら思ってしまっているということです。
タミーノとパパゲーノの最初の試練は「沈黙」の試練。タミーノの態度にパミーナは絶望して自殺をはかるが、3人の童子が止める。その後タミーノとパミーナは再会し、最後の「火」「水」の試練を2人で乗り越える。
パパゲーノ効果とは、自殺をふみとどまった人の物語が、自殺を抑止する効果があるかもしれない、という仮説です。
パパゲーノ効果は、2010年にオーストリアのトーマス・ニーデルクローテンターラーらの研究で初めて提唱されました。オーストリアの紙媒体のメディアを4カ月間調査し、497件の自殺報道の内容を分析。その結果、希死念慮を抱えた個人が、その危機を乗り越えた経験を伝えることが、自殺予防の効果を持つ可能性が見出されました。
でも、パパゲーノ効果はまだ充分に証明されていない、頼りない理論です。
パパゲーノ効果とは何のこと?【自殺予防の基礎知識】一方で、ウェルテル効果といういくつかの研究で証明された理論もあります。著名人の自殺報道など、自殺した人の物語が、自殺を助長してしまうという効果のことです。ウェルテル効果を防ぐために、WHOが自殺報道のガイドラインを作成しています。
「ウェルテル効果」とは?著名人の自殺の報道が危険な理由『夜に駆ける』がが自殺を助長する物語ではなく、自殺を抑止する物語であってほしいというのが、個人的な願望です。
彼女には、「死神」が見える。「タナトス」に支配される人間に稀に見られる症状なのだという。
そして「死神」は、「タナトス」に支配されている人間にしか見ることができない。「死神なんていないよ」
「なんで分かってくれないの…!」僕が死神を否定すると、彼女は決まって泣き叫ぶ。
(「タナトスの誘惑」より引用)
生に対する欲動「エロス」に支配される人間が、死に対する欲動「タナトス」に支配される人間の気持ちを理解し、生きる道を選んだ微かな可能性を信じて、今日も『夜に駆ける』を聴いています。
※僕個人の価値観としては、すべての自殺を否定しているわけではありません。
なぜ男性は女性の3倍も自殺者数が多いのか? デュルケームの『自殺論』をわかりやすく解説!社会学で分析した自殺理論は、現代にも通じるか?参考文献
【原作】
・YOASOBI「夜に駆ける」 Official Music Video
・タナトスの誘惑 / 星野舞夜
・夜に溶ける / 星野舞夜【書籍】
・自殺学入門―幸せな生と死とは何か / 末木新
・つながりからみた自殺予防 / 太刀川弘和
・精神科治療学 Vol.30 No.3 2015年 3月号〈特集〉自殺予防と精神科臨床-臨床に活かす自殺対策-【WEB記事】
・パパゲーノ効果に関する誤解と過剰期待に注意ー適切な自殺報道に向けて理解すべきこと
・コロナ禍でリスクが高まり、著名人自殺報道が引き金に~報道のあり方と政府の情報発信の改善を
・【女性は存在していなかった】YOASOBI「夜に駆ける」歌詞解釈:元となる小説は?
・YOASOBI解剖「夜に駆ける」編~伝説は、無二のどんでん返しから始まった~【論文】
・太刀川弘和. “ウェルテル効果とパパゲーノ効果: 群発自殺モデルの再考.” 心と社会 52.1 (2021): 94-100.
・Niederkrotenthaler, T., Voracek, M., Herberth, A., Till, B., Strauss, M., Etzersdorfer, E., … & Sonneck, G. (2010). Role of media reports in completed and prevented suicide: Werther v. Papageno effects. The British Journal of Psychiatry, 197(3), 234-243.
・Niederkrotenthaler, T., & Till, B. (2019). Suicide and the Media: From Werther to Papageno Effects–A Selective Literature Review. Suicidologi, 24(2).
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