自殺のリスクとして色んな研究がされていますが、そのうちの1つである「身についた自殺潜在能力」について聞いたことはありますでしょうか?おそらくほとんどの人は初めて聞く言葉だと思います。
この記事では、「身についた自殺潜在能力」の概要や論文をわかりやすく紹介します。
僕は修士論文で「Netflixの人気作品のうち自殺シーンを含む映像作品の視聴」と、「身についた自殺潜在能力」の関係性を分析していました。
身についた自殺潜在能力とは何か?
「身についた自殺潜在能力」とは、「死ぬことや痛みに対する恐れのなさ」のことです。
人は生命として生存本能を持っています。そのため、自分自身を痛めつけることや、死ぬことについて、「恐怖」や「不安」を感じるようにプログラムされています。そのため、死にいたるほどに自分を痛めつけることは通常はできません。
しかしながら、バンジージャンプをしたり、激しいスポーツをしたり、幼児期に虐待を受けたり、何度も自傷行為を繰り返したりすると、「死ぬことや痛みに対する恐れのなさ」が麻痺して、致死的な自殺行動に至ってしまうとされています。
ジョイナーの「自殺の対人関係理論」
身についた自殺潜在能力は、ジョイナーの「自殺の対人関係論」という理論の中で自殺リスクの1つとして提唱されました。
自殺の対人関係理論とは、「負担感の知覚」「所属感の減弱」「身についた自殺潜在能力」の3つが揃うと、人間は致死的な自殺行動に至るというもの。
①負担感の知覚:他者に迷惑をかけていて家族や職場、社会にとって自分はお荷物だという感覚。
②所属感の減弱:コミュニティから疎外され孤立しているという感覚。
③身についた自殺潜在能力:死ぬことや痛みに対する恐れのなさ。
自殺願望があるだけでは人は自殺できない
「負担感の知覚」と「所属感の減弱」があると、自殺願望を抱きます。
しかしそれだけでは、防衛本能が働くため具体的な自殺行動には至りません。
この2つに、恐怖や苦痛を伴う体験を通じて後天的に獲得した「身についた自殺潜在能力」が高まると、致死的な自殺行動に至ってしまうと説明しています。
身についた自殺潜在能力に関する論文
身についた自殺潜在能力についての論文は数多く書かれています。代表的な3つの論文をご紹介します。
【1】身についた自殺潜在能力尺度の日本語版(2019年)
2019年に発表された「対人関係欲求尺度と身についた自殺潜在能力尺度の日本語版の作成」という論文があります。東洋学園大学の相羽美幸さん、筑波大学の太刀川弘和さん、自治医科大学のLebowitz, Adam J.さんによって書かれたものです。
この論文では、「ACSS-5」「ACSS-FAD」「ACSS-20」という3つの英語版の尺度それぞれに対して、日本語版の尺度の妥当性・信頼性が検討されています。
太刀川先生は、自殺シーンを含むAmazonオリジナル初の日本映画『HOMESTAY(ホームステイ)』の自殺予防の観点からの助言役などもしています。
【2】自殺願望と身についた自殺潜在能力(2008年)
Kimberly A Van Ordenらによる研究で、自殺の対人関係理論、および、身についた自殺潜在能力について以下のことが報告されています。
- 「所属感の減弱」と「負担感の知覚」は「自殺念慮」を予測する。
- 過去の自殺未遂の回数が多いほど、「身についた自殺潜在能力」が高くなる。
- 痛みを伴う経験が「身についた自殺潜在能力」を高める。
【3】精神障害と身についた自殺潜在能力の関係(2015年)
Caroline Silvaらによる精神障害を持つ997人の外来患者を対象にした研究で、精神障害と身についた自殺潜在能力の関連について以下の報告がされています。
- 「心的外傷後ストレス障害」「統合失調症」などは、「痛みを伴う挑発的な出来事への潜在的な曝露」の可能性を高め、「身についた自殺潜在能力」が高い。
- 「回避性パーソナリティ障害」「特定の不安障害」「薬物使用障害」は、「身についた自殺潜在能力」が低い。
「身についた自殺潜在能力」の尺度
身についた自殺潜在能力の高さを計測する尺度として「ACSS-5」「ACSS-FAD」「ACSS-20」の3つがあります。
日本語版については、「対人関係欲求尺度と身についた自殺潜在能力尺度の日本語版の作成」という論文で妥当性・信頼性が検証されています。
ACSS-5の日本語版の設問
- ほとんどの人が怖がることでも私は怖くない
- 私は他の人よりも痛みに耐えることができる
- 私は「怖いもの知らず」とよく人に言われる
- 私は死ぬとき痛いのが恐ろしい
- 私は死ぬのが全然怖くない
ACSS-FADの日本語版の設問
- 私は、自分がいずれ死ぬことは気にならない
- 私は死ぬとき痛いのが恐ろしい
- 私は死ぬのがとても怖い
- まわりが死について話していても私は気持ち悪くならない
- 将来死ぬことは、私の不安をかきたてる
- 人生の終わりが死であることがわかっても私は平気だ
ACSS-20の日本語版の設問
- ほとんどの人が怖がることでも私は怖くない
- 私は自分の血を見ても平気だ
- 私は、怪我をするかもしれない状況(例えばスポーツ)を避けるようにしている
- 私は他の人よりも痛みに耐えることができる
- 私は「怖いもの知らず」とよく人に言われる
- 私は血を見ると、とても嫌な気分になる
- 私は、自分がいずれ死ぬことは気にならない
- 私は死ぬとき痛いのが恐ろしい
- 私は科学の授業で動物を殺しても平気だ
- 私は死ぬのがとても怖い
- まわりが死について話していても私は気持ち悪くならない
- 私は死体を見るとぞっとする
- 将来死ぬことは、私の不安をかきたてる
- 人生の終わりが死であることがわかっても私は平気だ
- 激しいぶつかり合いのあるスポーツを観戦するのが好きだ
- 野球で一番好きなのは乱闘だ
- ケンカを見かけると、立ち止まって見てしまう
- 映画で暴力的なシーンがあると目を閉じる
- 私は死ぬのが全然怖くない
- もし死にたいと思えば、私は自殺できるだろう(たとえあなたが決して自殺したいと思ったことがなくても、この質問にはどうかご回答ください)
自殺シーンの視聴と身についた自殺潜在能力の関係性
僕は修士論文で、Netflixの自殺シーンを含む人気作品13個の視聴経験と、身についた自殺潜在能力の高さに関連があるかを研究していました。
この研究をやろうと思った背景としては3つあります。
- 自殺関連の映画の視聴と自殺未遂などの関連が報告されていたこと。
- 女子高校生の自殺をテーマにしたNetflixオリジナル作品「13の理由」の公開後に若者の自殺が増加したことが報告されていること。
- 「ウェルテル効果」と呼ばれる自殺報道とその後の自殺増加の関連が報告されているが、その背景にあるメカニズムは未解明であること。
日本人の18〜29歳の男女を対象にGoogleフォームを利用したアンケート調査で385名から回答を集めて、Rを用いたt検定、カイ二乗検定、一元配置分散分析、相関分析、重回帰分析で解析しました。
結果は、残念ながら明確な有意差は出ませんでした。
尺度の測り方の問題や、サンプリングの問題等もありますが、映像作品を見ることが人に与える影響には「個人差」が非常に大きいことが要因として考えられそうです。
興味のある方は、卒論のPDFを共有するので気軽にDMください!
一緒に考察していただけたら嬉しいです。
自殺予防を進めていく上で大切な2つのこと
ジョイナーの自殺の対人関係理論や、身についた自殺潜在能力は、自殺研究の中でも特に多くの研究によってエビデンスが積み上げられてきたものです。自殺予防にこの知見を役立てていくためには、2つの視点が求められます。
「身についた自殺潜在能力」が高まらないようにする
1つは身についた自殺潜在能力が高まらないような社会にすることです。
例えば、そもそも「自殺の手段を規制する」ということは有効な自殺対策ということがわかっています。
電車の駅で、飛び込みでの自殺件数が年間数百件と多かった駅でも、「ホームドア」を設置することで0〜1件程度に減ったというケースや、アメリカの州で銃を規制したことで自殺が減った報告もあります。
「身についた自殺潜在能力」が高い人を把握できるようにする
2つ目は、身についた自殺潜在能力が高い人を把握し、いち早く適切なケアに繋げることです。
自殺念慮が高く、身についた自殺潜在能力も高い場合、具体的な自殺の手段を検討していて、死にたい衝動が高まった時に致死的な自殺行動に及んでしまうリスクが高い状態と言えます。
なぜ男性は女性の3倍も自殺者数が多いのか?