「意識とは何か?」「心とは何か?」という疑問。誰しも一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
この問いに明確な回答を示してくれたのが前野隆司さんの『受動意識仮説』です。
彼のデビュー作にしてベストセラーの『脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説』を図解でわかりやすく解説していきます。
脳科学者、哲学者、心理学者だけでなく、AIやロボット開発のエンジニア、弁護士、医師などの間でも話題になった1冊なので、ぜひご一読ください!
受動意識仮説とは?
受動意識仮説とは、意識は自ら命令を出して脳を動かしているのではなくて、脳の自立分散処理を受動的に見て、それを「あたかも自分がやったかのように錯覚する」だけだという説です。
僕らが生きている感覚では、自分で何かを考えて、何かを感じて決断し、自らを動かしていると思ってしまいます。当然のことです。しかし、実際はその感覚は錯覚だということです。
現実に脳で起きていることは、ニューラルネットワーク(無意識の小人たち)の自立分散処理を受動的に意識が「自分でやった」と錯覚するように定義されていて、意図的に行動したと僕らは思い込んでいるだけなのです。
「なんとなく理解はできるけど、納得はできないぞ?」と感じる方がほとんどかと思います。
心の5つの機能
心には5つの機能があることがわかっています。
知・情・意については、コンピュータやロボットで多かれ少なかれ再現できています。しかし、意識については解明されていない謎が多く説明がついていませんでした。
心身二元論と一元論
心や意識というのは霊的なものだという考えを「心身二元論」「二元論」と呼びます。物体(脳や身体)と心を2つに分けて別のものと捉えるため二元論です。反対に、物体と心は一体であり脳の中に心があると考えることは一元論といわれています。
科学的に考えて一元論が主流ですが、一元論でも「意識とは何か」を明確に説明できていません。また、前野隆司が学生にアンケート調査をしたところ約30%の学生が脳に意識があることを信じなかったといいます。(※母数や対象層は不明)
これには少しびっくりしましたが、宗教や価値観の問題で意識を霊的なものと捉えている人も少なくないようです。
心はどこにあるのか?
心の5つの機能のうち、知情意や記憶と学習は脳のどの部分で行われているかは神経学者によって解明されています。
- 知:大脳の表面(大脳皮質)の横から後ろにかけた部分
- 情:大脳の真ん中
- 意:大脳の表面の前(額)の部分
- 記憶と学習:海馬
しかし、コンピュータやロボットに「意識」はまだ備つけられていないし、人間の意識についてもよくわかっていませんでした。
自己意識の3つのナゾ
自分という主体=自己意識には3つの解明できていない謎があります。この3つの問題に対して、「受動意識仮説」の立場だと明確に答えを出すことができます。
【1】自己意識の謎
1つ目が自己意識の謎です。いったい自己意識というのは脳のどこにあるのか。様々な研究で微かな手がかりはつかめているものの、明確な説明ができていない状態でした。
受動意識仮説では、自己意識は「脳が作り出した巧妙な錯覚だ」と結論づけてこの問題を解決しています。
【2】バイディング問題(結び付け問題)
バイディング問題とは、無意識に脳のニューラルネットワークが処理している複雑で膨大な処理を、自己意識が結び付けて制御することが不可能なのではないかという問題です。バイディングとは、結び付ける、対応づけるという意味なので「結び付け問題」とも呼ばれます。「どうしたら、複雑なニューラルネットワークを制御して身体を動かしたり、感情を感じたり、思考したり、意思決定ができるんだろうか。」ということを世界中の学者が必死に考えていました。
受動意識仮説では、「自己意識はそもそも無意識の自立分散処理を制御していない」と結論づけています。受動的に自立分散処理の結果を受け止めて錯覚しているだけで、バイディングは誰もしていないのです。そのため、バインディング問題はそもそも存在しません。
【3】クオリアの謎
クオリアとは心の質感のことです。赤いりんごをみた時に、僕らは無機質な物体としてりんごを捉えるだけではなく「赤いなぁ」「美味しそうだなぁ」と主観的な感覚を体験します。これをクオリアといいます。
クオリアについては、脳科学者の茂木健一郎さんが「クオリアこそ、心の解明の鍵」と考えていることで有名です。エピソード記憶のメリハリをつけるために、実感を伴うようになっていると考えられていますが、そのメカニズムは意識最大の謎といわれています。
クオリアに関して理解を深めるために、クオリアが感じられなくなる離人症という病気を紹介します。離人症は「自分の感情」「自分の身体」「外界」に対して実感を持てなくなってしまう病気です。
あまりイメージしにくいかもしれませんが、僕らが「悲しいって感じてるなぁ」「つるつるしてるなぁ」「赤い夕焼けが綺麗だなぁ」と感じられるのはクオリアのお陰なのです。
自己意識と同様、クオリアは「脳が作り出した巧妙な錯覚だ」と結論づけてこの問題を解決しています。
ちなみに、本書の中で前野さんは茂木さんのことを名指しでズバズバと批判しているのですが、数年後に対談して以来、仲良くなったそうです。
意識の地動説「受動意識仮説」
意識や心について、世界中の研究者が実験を重ねて謎だと思われていた論点は受動意識仮説によって綺麗に説明がつくことがわかりました。これはまるで、天動説から地動説へと世界の正解が切り替わった時のパラダイムと似ています。
ニコラウス・コペルニクスが唱えた太陽中心説(地動説)によって、当時誰もが信じて疑わなかった天動説が覆され、様々な現象を説明できるようになりました。それと同様、受動意識仮説に基づけば、意識の様々な現象を綺麗に説明できるようになります。
能動意識仮説:
意識とは、すべてを決定し脳を制御する主体的なシステム。
受動意識仮説:
意識とは、受動的な体験をあたかも主体的な体験であるかのように錯覚するシステム。
旧来の意識観(=意識の捉え方)を180度覆す、まさにコペルニクス的転回です。
受動意識仮説のわかりやすいイメージ
受動意識仮説のイメージはこんな感じです。
自己意識が主役だと思い込んでいたら、実は無意識が主役で錯覚させられているだけということです。意識はすべてを決める「社長」のようなものと考えられていましたが、実際は無意識が情報処理していくのを脇役として脳の片隅で観察し錯覚している「社史編集者」に近い存在です。脳の動きというのは、意識からトップダウンで行われるのではなく、無意識なニューラルネットワークの自立分散処理の結果ボトムアップに動いているということです。
なんとなく「受動意識仮説」のイメージは掴めたとしても、にわかに信じがたい仮説のように思えます。ここからは、受動意識仮説の「科学的根拠」を整理していきます。
「知情意」はすべて受動的
心の機能のうち、「知(思考)」「情(感情)」「意(意図)」はすべて受動的です。
感情が受動的という話は耳にしたことがあるかもしれません。「笑うと楽しい気持ちになる」とか、「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ」という言葉は有名です。意識して、なんらかの感情を主体的に抱くということは役者でもない限り困難なので、「感情が受動的」というのは理解しやすいかと思います。
ですが、「知(思考)」や「意(意図)」は能動的だと信じたくないでしょうか。必死に試験勉強をしたり、仕事で課題解決のために思考したり、キャリア選択に悩んだ末転職を決意したり、それらはすべて「主体的」に思えます。しかしこの2つも本当は受動的なのです。
受動的な知(思考)のメカニズム
数学の問題を見たときの話で、受動的な知のメカニズムを解説します。
下の三角形を見てみてください。ぽっと「5かな」と思う人が多いかと思います。
まずは視覚から情報が入力されます。何が書いてあるわけでもないですが、無意識の小人(脳のニューラルネットワーク)たちが思考して、「?とあるからクイズかな?」「これはピラゴラスの定理だね」「答えは5だ」などと自立分散的に連想ゲームが始まります。ニューラルネットワークには疲労効果があるため、強く発火するものに集約されて、「?は5だね」という結論をだし、そしてあたかも自分で考えて答えを出したかのように自己意識に錯覚させます。
複雑な情報処理でも同様です。外部の状況の知覚も、記憶の連想も、すべて無意識の仕業なのです。
意図も受動的なのか?
知情意のうち「知(思考)」と「情(感情)」が受動的なのは理解できました。しかし、「意(意図)」だけはさすがに能動的なのでは?というのが普通の感覚だと思います。
もし僕がこれまで主体的にやってきた思考、決断、行動のすべてが、実は「他人の命令」に従った受動的なものだとしたら、なんか怖いですよね。
意識が受動的な4つの根拠
意図や意識が受動的である根拠は4つあります。1つずつ解説します。
【1】意図のタイムラグ
1983年にリベットが実施した実験で、「指を曲げよう」とすると、その0.35秒前に指を動かす電気信号は出ていることが発見されました。人間が意図するよりも前に、無意識が既に動き出していたということです。
この実験結果に世界中が驚きました。意図より先に無意識が動いているということは、人間の自由意志は存在しないということになるためです。
様々な研究者が同じ実験を行いましたが、結果は変わらず「意図するより前に無意識が動いている」ということがわかりました。
【2】脳は時間も錯覚する
1991年にリベットは別の実験結果の論文も発表しています。
脳を直接刺激して皮膚感覚を感じるようにしたところ、皮膚感覚を意識するのに0.5秒のタイムラグがありました。僕らは普段、物を触った瞬間に触った気がしています。熱いものに触れた瞬間に「熱い!」と感じます。しかしそれは脳がタイミングを錯覚させているだけのようです。錯視と同じで、時間も錯覚するということです。
ということは、無意識の情報処理を「自分が意図したかのようにタイミングを錯覚させている」という可能性も十分に考えられます。
【3】進化の連続性
3つ目の根拠は進化の連続性から、突然人間にだけ主体的な意識が誕生するとは考えにくいためです。エピソード記憶を発達させていった延長線上で自己意識を突貫工事で身につけていったと考えると自然なのです。
昆虫は意味記憶さえ持たず、反射により生活しています。下等な哺乳類は意味記憶は持つがエピソード記憶を持ちません。そのため場当たり的な生き方をしています。エピソード記憶とは、高度な認知活動をするために、意味記憶よりも後に、進化的に獲得されたものと考えられています。
エピソード記憶は、無意識の情報処理に感情や自己意識によってメリハリをつけて記憶を強調しないと情報量が膨大すぎて処理しきれません。そのため、自己意識という錯覚が生まれたのではないかと推察できます。
【4】バイディング問題
最後がバイディング問題の説明です。受動意識仮説ならば、そもそも意識が脳を制御するという前提がないため、バイディング問題を解決できます。もちろん、クオリアの問題についても、自己意識に対して脳が錯覚させていると考えれば辻褄があいます。
脳はなぜ錯覚するのか?
さて、自己意識やクオリアが脳の錯覚だと受動意識仮説は考えています。ではそもそも脳はなぜ錯覚するのでしょうか。
脳は錯覚した方が都合がいいからしていると考えるのが良さそうです。例えば、手で何かを触ったとき、「ざらざらするなぁ」という感覚を手で感じとります。ですが、手に脳はないので実際は脳で感じていて、それを手で感じているように錯覚させているのです。脳があたかも感覚器のある場所で感じたかのように見せてくれている巧みなマジックです。逆に錯覚がなければ生きにくくて仕方ないでしょう。
脳は都合よく辻褄を合わせるために、空間だけでなく時間も錯覚させているのです。
自己意識の正体
いくつかの科学的根拠から受動意識仮説がどうやら真のようだと思われます。ではそもそも「自己意識」とはなんなのでしょうか。
意識には大きく分けると2つあります。「物事に注意を向ける意識」と、「自分自身を個人的な主体そのものとして感じる自己意識」です。
「もし死んだら、僕の意識はどこへいくんだろう?」
という僕の疑問における「意識」とは後者の自己意識のことです。
結論としては、自己意識というのは無個性な錯覚の脳内定義でしかないようです。自己意識があるような錯覚をするようにできている。それだけのことです。とてもあっけなく、シンプルで、少し受け入れがたい結論でした。
死とは何か?
では「死」とは何なのでしょうか。死んだら、僕の意識はどこへ行くのか。
受動意識仮説の答えはこうです。
脳が死んだら、エピソード記憶も、自分というクオリアも、
自己意識という錯覚も、消えてなくなる。
宗教的な来世とか、あの世とか、天国とか、そういうものを信じたい気持ちもありますが。すべての喪失である死を明確な前提として生を考えなければならないということになります。
僕は、「自己認識のクオリア」を失うことや、「僕の記憶」が消えることが怖くて仕方がないです。エピソード記憶や心地いいクオリアは死んだらなくなってしまうという事実とどう向き合って生きていくかが求められます。
【死との向き合い方】
・意識は実存なき錯覚。錯覚できているのが偶然で、失うものなどない。
・意識という脳の錯覚定義はあらゆる人が持っている。自分のエピソード記憶やクオリアではなく、「他者」や「社会」に対して生きた証を残すことで、誰かの意識の中で伝承することはできる。
人間は外部刺激に反応する自動機械
受動意識仮説的人間観は、マーク・トウェインが『人間とは何か』で主張した人間観ととても似ています。マーク・トウェインは人間を「利己的な機械」と考えていました。外部からの刺激に対して利己的に反応するだけの機械だと人間を捉えていたのです。
受動意識仮説的な人間観も同様です。意識、自由意志がしていると思われていたことは、実はすべて無意識の仕業だったのです。
意識に拒否権はあるのか?
本書で前野さんは「意識に拒否権はないだろう」と主張しています。しかし、受動意識仮説の源流であるリベット自身は、「0.2秒だけ人間の自由意志はある」と考えていたようです。
実は論争を巻き起こした論文の数年後に行われたリベットの実験では、多くの場合、被験者は「準備電位」と「意識的決定」のわずかなあいだに、動作を「拒否」する選択をすることができたという(ただし、このときの実験では、被験者らが事実、「決断」をした後に拒否ができたのか、それとも「意図」や「衝動」といったものの類を拒否したのか曖昧なところが問題とされたのだが)。リベット自身は、この実験結果を「自由意志の証拠」として捉えていたようだ。
(出典:「自由意志」は存在する WIRED.jp )
受動意識仮説に対する考察
「受動意識仮説」の図解は以上です。
最後に僕が前野さんの『脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説』を読んで感じたこと、考えたことをまとめます。
1.人はなぜ自殺するのか?
まずはじめに考えたのは、自殺の捉え方についてです。自殺という言葉は「自ら殺める」と書きます。この場合の「自」とは普通、自己意識を指すかと思います。ですが、受動意識仮説が真であれば、少し違った見方ができるかもしれないと考えました。
・人はなぜ自殺をするのか?
・希死念慮はなぜ起こるのか?
旧来の自殺観は、自ら死を選び、体を動かし、自殺を遂行するというものでしょう。しかし受動意識仮説が真なら、無意識の小人たちによって自殺をすると決めて、自殺を決断したと錯覚し、自殺を遂行することになります。無意識が決めていると考えると、少し怖いところがあります。
もはや死を選ぶ瞬間に、そこに意識はないのではないかとも思えてしまいます。「死ぬのを踏みとどまろうと錯覚しなくていいよ」と無意識が死の抑止を錯覚させることをやめたとき、無意識によって死を意思決定し行動に移すんだろうかと。
2.無意識を意図的に変えようとするのもまた無意識か?
人間の個性とはつまり無意識に宿るというのが受動意識仮説に基づく捉え方です。自己意識そのものは、無機質な脳の錯覚の定義でしかありません。錯覚の裏側で動いている脳のニューラルネットワークをどう構築していくかで「自分らしさ」が創られていきます。
つまり、自分らしさを勝ち得ていくには、「無意識を意図的に変えていく」働きかけが必要になってきます。ここで1つ疑問なのが、「無意識を意図的に変えていこう」と思うのも、考えるのも、行動するのも、「無意識」であるということです。
「自分を変えよう」という意志はいったいどこからやってくるんでしょうか。きっと学習の連続で、「こうした方が生存競争的に有利だ」とか「挑戦した方が幸福感を感じられる」ということを無意識が知っているから、無意識を変えようとするのだろうけれども。最初の第一波である「ビックバン」がないと、それは永遠に訪れないのではないかなと。
僕にとってのそれは、大学2年の時に挑戦したフィリピンでの海外インターンシップでした。ひと言では表せないけど、「強烈な原体験」を脳のニューラルネットワークに突っ込んだことで「意志っぽいものを持って、挑戦し、自分を変えていくのが良さそうだね」と無意識が転換する体験になったのかなと思います。
AIESECという組織で海外インターンシップを通して社会を変えるリーダーを育てることを目指し、大学では若者のアイデンティティーがどのように形成されるのかと、質的に社会変革意識を抱いたアイデンティティーを確立させるための要素を研究していました。なかなか良い仮説は生成できなかったのですが。
受動意識仮説を前提にすると、
【1】社会を変える小さな行動を積み重ねていくことで、後天的に社会を変えたい意志っぽいもの(=錯覚)を獲得できる可能性が高そう
【2】社会を変えたいと思う最初のビッグバンがとして、何らかの強烈な原体験が必要そう
ということを改めて思いました。
3.産業保健のコペルニクス的回転
最後に、この受動意識仮説が「心の天動説」をひっくり返すコペルニクス的転回として世界にインパクトを与えたことに対して、純粋に感動しました。
僕は日本の産業保健(働く人の健康)やメンタルヘルス業界を変えていくことを生業にしています。社会科学的な側面の強い産業保健において、ここまでのコペルニクス的転回を生み出すのは難しそうだなと思いつつも、産業保健の地動説を提唱できるような人間になりたいと思いました。
コペルニクスといえば、最近話題の地動説をテーマにした漫画「チ」も先日読んでとても面白かったです。
前野隆司さんの著書
・脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説
・無意識がわかれば人生が変わる
・幸せのメカニズム 実践・幸福学入門
・幸福学×経営学 次世代日本型組織が世界を変える
・幸せな職場の経営学
・実践 ポジティブ心理学 幸せのサイエンス
・人生が変わる! 無意識の整え方
・感動のメカニズム 心を動かすWork&Lifeのつくり方
・「幸福学」が明らかにした 幸せな人生を送る子どもの育て方
・年収が増えれば増えるほど、幸せになれますか? お金と幸せの話
・錯覚する脳「おいしい」も「痛い」も幻想だった
僕は『脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説』と『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』を読んだことがあります。どちらも、好奇心が刺激されて、かつ実生活にとても生きる学びを得られるのでこちらの2冊はおすすめです。
[…] つまり,前野さんによると,私たちはあたかも自分がやっていると錯覚するように,そう感じるちょうどいいタイミングで行動を意識するよう,巧妙に作られているという「受動意識仮説」を展開したのです。 […]
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