2023年3月に修士課程を無事に卒業することができました。公衆衛生学を専攻し、メディアと自殺の研究をしていました。初めて英語で論文を読み、英語で論文を書き、わからないなりにt検定や重回帰分析をして、何とか1つの修士論文を書き上げることができました。
僕は研究者に本当に向いていないなと心底思い知る体験でした。なぜそう感じたのか、学問の世界に感じた5つの違和感をまとめます。
ほぼ愚痴ですがお許しください。
【1】ジャーナルごとに書式やルールがバラバラ
健康診断結果のフォーマットや、電子カルテのフォーマットがバラバラで収拾つかなくなっている日本の医療業界に似たものを感じます。
全てプレーンテキストで入手できるようにしてほしい。全てプレーンテキストで提出できるようにしてほしい。
切実に辞めてほしい。
【2】Microsoft社と癒着しすぎ
Microsoft求めがち。エンジニアがSlackを使っていない会社に就職しないのと同じで、優秀な若手研究者を研究業界から排除する慣習だと思う。ローカルファイルのWordを使ってやり取りする文化は無駄な仕事を増やすだけなので辞めてほしい。
学問の世界は壮大な利益相反の上に成り立っている。
【3】オープンアクセスの論文とそうではない論文が混在している
基本的に世の中の全ての学術論文は、フルオープンにするべきだと思う。「読みたい論文にアクセスできない」という課題に多くの研究者が直面している。
端的に言うと、学問の目的とビジネスモデルが適合していない。そのため、論文を探し読むことのユーザー体験も悪い。オープンアクセスにするためにお金を払うようなビジネスモデルは学問の発展を阻害するだけなので、辞めたほうがいいと思う。
学問のビジネスモデルを抜本的に変える仕組みが生まれることを期待。
【4】善意によるボランティアで回っている
基本的に学会の運営とか論文執筆に関わる営みのうち、善意によるボランティアで回っている部分がかなり大きい。
「先生」と呼び合っているのも苦手で肌に合わない。笑
なかなか不思議な世界である。
【5】論文はAIの方が上手に書ける説
例えばあるテーマについて世の中に1000本の論文があるとする。人間である僕が読み込めるのはせいぜい数十本とか頑張って100本くらい。1000本をくまなく読んで考察できるAIの方がよっぽど優秀でもっともらしい論文が書けるような気もしてしまう。
人間がやるべきことは以下の3つくらいに収斂されていくのではないかと思う。
- 人間社会にとって意義のある「研究仮説」を思いつくこと
- 自分の強みが活かせる「独創的な方法」を思いついて実践すること
- 外れ値的なニッチな現象やデータが集められていない事象について探究すること
今だと、論文をたくさん書いている研究者は評価されていると思うけど、「研究=論文を書くこと」ではなくなっていくのではないかという気もする。
AIの方が僕より上手に論文を探し、上手に読み、上手に書けると思う。
人間の研究者の役割は最先端の現場での社会実装になるのではないでしょうか?